春爛漫

僕もすっかり一介の社会人だ。
社会になにをもたらした訳ではないが、お給料を貰うために会社に行っているのだからそれだけで十分だろう。

本物の社会人からすればガキが何言ってんだといったところだろうが、僕は社会を構成する1人になれたことに満足している。

しかし、小学生時分の僕が今の僕を見たら鼻垂らしながら「なにやってんだよ!?」と殴りかかってくるだろう。
あの頃の僕は本気で漁師になりたいと思っていた。漁師ではないにしろ、毎日ネクタイを締めて満員電車に揺られる人種にだけはなりたくなかったのだ。当時は何となく頭がよかった自分自身を恨んだりもしてた。何となく勉強が出来るから、周りから期待され当然のように大学にいき、なんでもないサラリーマンになる事を義務付けられたような気がしたからだ。


最近自己否定しがちだ。理想が崩れ去っていくことへの喪失感、理想とあまりにかけ離れていることへの焦燥感。理由はよく分からない。分かるのは、とにかく自分がダメだから現状がこうなんだという事だけ。

そのうちに僕は自分に価値が無いと思いだす。理想を掴むに値する価値が無いから、理想はどんどん崩れるし遠ざかる。そしてその足りない価値を、現状で埋めるため僕は、理想のハードルを下げる。しかしそれは、ただの独りよがりだ。今の自分にとっても理想の中を生きる僕にとっても
愉快なことではない。


強い人はここで奮起し、理想を掴み追い越すために逞しく立ち上がる。
本当に理想の自分になりたいのなら当然の行動だ。
そんなことはとうの昔に承知している。
承知していたところで、それを実行できる人はこの世に何人いるだろう。2人くらいしかいないと思う。


自分が頑張れない理由を求め、自己啓発本や音楽に頼っても気休めにしかならない。(気休めになるなら十分か)


結局、僕はくそ雑魚だからこの自己否定には勝てないのだ。唯一勝機があるとすれば、何か没頭できるものを見つけた時しかない。このめんどくさい考え事そのものを忘れることができるからだ。

解決ではなく遮断した時、僕の勝利が訪れる。