文章は相変わらずまとまらない

まだ1週間そこらしか本物の社会人と接してないけど、1つ気づいたことがある。僕が今まで自意識過剰だったということだ。

僕の言う自意識過剰とは、「「みなとみらいの小洒落た店で優雅にランチを食べるのが恥ずかしい」と思っている」。そんな類の話だ。

これは本当にその行為がみっともなくて、恥ずかしいと思っているのではなく、自分がそんな気取ったことをしているのが嫌だということなのだ。そんなの誰も気にしていないのは重々承知だ。だからこその自意識過剰なのである。

「スカしたことしてんじゃねえよ気持ちわりい」と言う根も葉もない蔑みが、僕の心の奥底にあり、それがこの自意識過剰を作り上げたのだろう。何をしていても、他人が見たらどう思うのだろう。という疑問ばかり浮かんでくるようになってしまっていた。

僕が人の目を気にするのは、自分が他者にしていた蔑みが自分自身に振りかからないよう、逃げ続けているからだ。自分のことは棚に上げるようなことはなるべくしたくない。だから僕は、僕にできないことができる人の価値を下げ、自己肯定を続けていたのだ。とんだクソ野郎である。

未だに僕は、「自分は自分、他人は他人」と開き直ることができない。しかし、最近なんとなく打開策を練っている。
今まで他人の評価を下げることで、自分を肯定していた。すると、僕と同じようなクソ野郎。あるいは僕自身が、僕を同じ目に遭わせる。それを止めさせるには、他人を肯定する他ない。

みなとみらいの小洒落た店で優雅にランチを食べることを肯定すれば、僕が同じことをしても否定してくる人はこの世からいなくなる。


物は試しとこの間会社に、新卒が生意気かと思いつつスリーピースを着て行ってみた。
それを否定する人間はこの世に誰もいなかった。